藤 蔓



茹だるような京都の夏を蝉達の声が一層暑く感じさせる。
中庭に面した障子を開け放ち、着流しの軽装で本を読んでいた斎藤は
文机の上に本を伏せ、近くにあるはずの団扇を探した。
すると母屋のほうから額に汗を光らせて神谷清三郎がやってきた。
両手には辻売の冷水売りから買い求めたのであろう小振りの 碗を持っている。
「あれ?沖田先生はどちらに?」
「沖田さんなら今しがた局長に呼ばれて行ったが・・」
「えぇーっ!沖田先生が買って来いって言ったんですよ、これ! せっかく冷たいうちにって急いで持ってきたのに!」
確かに碗の中の冷水はまだ氷が残っていて、斎藤の気分を いくぶん涼しげにする。
「どうしよう?・・でもぬるくなった冷水なんてどーしようもないし・・ 」
しばらく清三郎は思案顔をしていたが、心を決めた様子で
「斎藤先生、余り物を押し付けるようで恐縮なんですが、 ご一緒にいかがですか?」
と申し訳なさそうに言った。
「・・それはいいが、沖田さんに買ってきたものだろう?」
「いーんです!こんなものを買いに行かせておいて居ないのは これと縁が無かったってことですから」
そう笑いながら冷水で喉をうるおすと、清三郎は袂から扇子を 取り出した。
扇子には色褪せた藤色の房飾りがついている。  

「清三郎、それは・・?」
「ああ、この房飾りですか?これは私が十の頃、剣術の稽古を 始めると知った兄上が私のために見立てて下さった面紐なんです。
色も褪せてしまったし、切れてしまったから捨てればいいんですが どうもそんな気持ちになれなくて・・こうして今も・・。」
「・・済まない。つらい事を聞いたようだな。」
しんみりとした清三郎の横顔に斎藤は詫びた。
清三郎は慌てたように笑顔を作り、首を横に振る。
「いいえ、そんな事は全然。兄上の事を話せるのは斎藤先生だけですから 嬉しいんですよ。いつか吉田道場での話も聞かせて下さいね。」
清三郎はそう言いながら立ち上がり、斎藤の部屋を後にした。
どうも俺は清三郎が喜ぶ話をしてやれない。軽いため息を一つつくと 斎藤はごろりと文机の前に寝転んだ。
目を閉じてみるとゆっくりと 意識が夢の底へと落ちて行く。薄れゆく意識の中、斎藤は鮮やかな 藤色の面紐を見たような気がした・・


一は見慣れた江戸の町を剣術の道具を肩に歩いていた。
前髪を落とし元服を済ませたばかりの一だが、迷うことなく 入り組んだ町中を歩いて行く。
夏の昼間、しかも九つ時(正午〜一時)では道行く人もまばらだが 商家の多い通りだけに活気は失われていない。
道場から小半時ほど歩くと目的の場所、武具商近江屋に着いた。
今朝、父祐助から元服の祝いに剣術の道具一式をあつらえる許しを得たので 道場出入りの近江屋に立ち寄ったのである。
「ごめん」濃紺の暖簾をくぐって店の中に入ると、顔馴染の番頭が
「これは山口様、元服、誠におめでとうございます。」
と如才なく応対に出る。
そんな口上を軽くうなずいて受け流し、一は用向きを番頭に告げた。
「さようでございますか、そのようなお品物でしたらぜひ主と お選び頂きたいのですが、
主はたった今寄り合いから戻りました所で・・ ・・少々お待ち頂けますでしょうか?奥の様子を見てまいります。」
番頭は手早く立ち上がり、手代に一に茶を出すよう言いつけてから 店の奥へと消えて行った。
出されたばかりの冷茶を一口すすりながら、一はどこともなく店の中を 見回した。
店には一のほかにもう一組、少々おかしな組み合わせの客が 来ている。
一人は一と同じ年頃の少年と、少年の妹であろう、ようやく 結うことの出来るようになった髪に柘植の櫛をした、
幼いながらも 凛とした趣のある少女であった。
「・・・!」 思わず少女の横顔に目を奪われた一は、二人と手代の話に耳を傾けた。
どうやら二人は弟の道具を見立てにやってきたらしい。
兄が手代に防具の寸法と拵えを相談し始めると、少女は所在無さげに 店の中を歩き始めた。
いくつかの小物を見て回った後、少女は ついに一の横にある面紐の置かれた一角にやってきた。

一は慌てて少女を追っていた視線を外すと、手に持った茶碗の冷茶を 一口すすった。
その冷たさが自分の頬の熱さを一に気づかせる。
そぉっと少女に視線を戻すと彼女はいくつかある面紐の中から 品のよい藤色の物を手にしていた。
その手の白さに思わず目を見張った一だが、ふと違和感を感じて目を細める。
和感の正体はすぐにわかった。
少女の手にはあるはずの無い、 しかし一の手には幼い頃から見慣れたもの、竹刀で出来た豆があるのだ。
ふと一の口元にうっすらと微笑みが浮かぶ。
弟の道具を求めに来たのではない、それは彼女のものだったのだ!
まさか武具商に女子一人で来る事も出来ぬだろうから、兄に頼んで こんな芝居をしたのだろう。
一は頬の熱さが全身に広がって行くのを感じていた。


「あ゛っ〜!!」 斎藤は心地よいうたた寝から沖田の叫び声で引き戻された。
「斎藤さん!ここにあった私の冷水、飲みましたね!!」
「あんたが席を外していたから清三郎が私に振舞ってくれたんだ、 買いに行かせておいていないのは、これと縁がなかったんだとな。」
「そんなことは無いですよ!もう!神谷さんったら、イジワルだなぁ!」
沖田はそう言いながら冷水の碗を持って部屋を出て行った。
忙しい人だな、相変わらず。斎藤は頬を少し掻くとぼんやりと 今の夢を思い出していた。
少女の白い手の豆と鮮やかな藤色が 斎藤の心にあの頬の熱さを甦らせていた。



― 了 ―



風花さんに頂きました斎藤さん小説です〜vv

セイちゃんを想う斎藤さん、「兄上」という立場は複雑ですよね…。
セイちゃん兄妹とそれを見つめる若かりし日の斎藤さん。
斎藤さんの気持ちはこんな時から始まっていたのですねvv
面紐を選ぶセイちゃんも…可愛かったろうなぁ〜vv
夏の日の情景が、目の前に浮かんでくるように感じました(^^)
最後に沖田先生も登場で、嬉しいですv

風花さん、どうもありがとうございました〜〜vv





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